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麻田藩陣屋跡(大阪府豊中市)

 麻田藩陣屋跡 
麻田藩青木氏の陣屋。
元和元年(1615)に築かれた。
明治維新を迎えるまで青木氏が治め続けた。
廃藩置県により陣屋は解体された。
現在は門や御殿玄関が移築されて残っているのみだ。陣屋跡付近には石碑が建っている。

(移築長屋門)豊中市刀根山元町5-27 

(移築門)豊中市蛍池中町2丁目11 

(移築御殿玄関)豊中市春日町2-6 

(移築門)豊中市春日町2-6 

(移築門)池田市住吉1丁目

(移築武家屋敷門)豊中市中桜塚1丁目3


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