岸和田砦跡
別名、別所寺砦。
城の詳細な歴史は不明。
河内国岸和田庄は足利直義の領地であったらしく、足利直義と高師直が不和になった天平4年(1350)に高師直が岸和田砦と砦一帯を攻めたと云われている。いわゆる『観応の擾乱』である。
この時、別所寺(城域内にあった寺院)の僧が奮戦したものの、兵火により別所寺の伽藍が焼失したという。
おそらく、この時に廃城になったのだと思われる。
岸和田砦は別所寺の僧兵が守る砦だったのかもしれない。
現在は遺構もなく、推定地も曖昧な状態。
弁天池公園の北側一帯の府営住宅付近にあったと云われている。
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