野崎城跡
築城年代などの詳細な歴史は不明。
四條畷合戦(1348)の時に北朝軍の縣下野守が野崎城のある場所に陣を置き、南朝軍の楠木正行と対峙したという(『太平記』より)。
河内国守護の畠山一族の内紛の時に畠山義豊が野崎城の畠山尚順を攻めたという記録があることから、野崎城の本格的な築城は15世紀に畠山氏がしたと考えられている。
また、背後の山に築かれている飯盛城の出城の役割も果たしたとも考えられているが、野崎城についての資料が少なく、確証はない。
野崎観音からハイキング道で5分強で主郭に到達する。主郭には石碑と説明板がある。
また、主郭から南東に下った処に深さ約10㍍の堀切がある。
(主郭南東部の堀切)
堀切から更にハイキング道を登っていくと飯盛城跡にたどり着く。
(城跡からの景色)
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