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浅香城跡(大阪府堺市)

 浅香城跡 

別名・浅香山城。
藤原魚名の末裔の浅香氏の代々居城跡。
城主の中で最も有名なのが浅香将監宗勝で南朝に属した。
詳細不明だが、文亀元年(1501)に落城した。
その後、子孫が秀吉の四国征伐の時に武功をあげ、旧領を与えられた。
現在の浅香山稲荷神社付近が城跡だと云われている。確かに高台に位置するなど、城郭的要素が地形にはあらわれている。

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