三箇城跡 飯盛城の西を守る支城であったという。 湿地帯に浮かぶ三つの島を利用して築かれたらしいが、現在は湿地帯の名残はほとんどない。 築城年代や築城者は不明。 戦国時代には三箇氏が城主だった。 永禄4年に畠山高政が飯盛城の三好長慶を攻めた時に、三箇城は畠山軍が一度落城させているが、まもなく復活している。 永禄5年、城主の三箇頼照はキリスト教となり、城内に教会を建てたという。 宣教師ルイス=フロイスはローマに「教会は水に囲まれた島にある」と報告している。 本能寺の変で三箇氏が明智光秀に与して滅び、白井氏が入城したが、天正15年の秀吉によるキリスト教禁止令が出されると、城内の教会は破壊され、城も廃城した。